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正善院

正善院

日蓮宗 身延山夫婦池 能勢 妙見宮 天満屋敷跡

正善院:DATA
所在地〒530-0041
大阪府大阪市北区天神橋3丁目11-3
TEL06-6353-1651
FAX06-6353-1670
URL
施設内容お寺、寺院
営業時間など09:00~16:00
駐車場
アクセス(最寄駅)
○地下鉄堺筋線・扇町駅・4番出口徒歩1分
○JR環状線・天満駅・天神橋商店街を南へ徒歩5分
(バス)
○扇町停留所・徒歩1分
(車)
○阪神高速守口線扇町出口から2分
(その他)
扇町交差点を東へ、天神橋三丁目郵便局20m手前
お役立ち情報厄除け・開運ご祈祷、お骨のお預かり・永代納骨の供養・水子供養・年回忌法要等、宗旨・宗派は問わず、おたずね下さい。

正善院の地図

大阪府大阪市北区天神橋3丁目11-3 (Sorry, this address cannot be resolved.)

お寺・寺院/正善院の詳しい情報です!

正善院は、日蓮大聖人御降誕の地、大本山 誕生寺 直末寺で、慶長十三年(西暦1608)に梅ヶ辻(中央区谷町九、周辺)で創建され、明治三十年三十四代能勢頼萬公の紹願により能勢家天満屋敷、妙見堂に移転した。
大阪能勢の領主、二十三代頼次公の時、身延山二十一世寂照院日乾上人に教化され、能勢家の鎮宅霊符神を妙見大菩薩とされた。
時代は下り、三十二代頼功公の時 天保の飢饉となり幕府の威光は衰えを見せ、天保年八年には大阪では元天満与力 大塩平八郎が乱をおこす。
翌九年頼功公(1838)(徳川旗本)は、長男頼富と共に世情急変を考えて大阪天満の夫婦池跡地に能勢領主の天満屋敷(現在 正善院)を建立し、その邸内に妙見堂(現在 正善院)を建て能勢妙見山の御霊像を法華勧請されたのである。
天保十三年、長男の三十三代頼富公は、二十才の若さで家督を継ぎ、十四代将軍徳川家茂に仕えるために本拠を天満屋敷においた。
頼富公は、元治元年正月に、幕府命により警衛京師となり七月にその功労(蛤御門の変)によって、従五位日向守能勢頼富に叙任ぜられた。
時代はめまぐるしく移り変って行く維新の時代であった。
頼富公は、慶応三年、朝命を召拝し、護京師となり翌四年に鳥羽伏見の戦いで御所の警護に当たり、同年五月その功によって朝臣(あそん)として能勢の領地を賜ったのである。
明治二年には明治天皇の御東遷に際して御供として行幸に参加し、翌三年には奉還対士藩籍奉還し、大阪府に編入されたのである。
頼富公は、誠に苦難心労の多い人生であったが、妙見大菩薩のご守護により明治九年大阪市北区当寺の天満屋敷に於いて、五十五歳の生涯を閉じられている。

「摂津名所図絵大成巻12」1855(安政二)年~暁鐘成(あかつきのかねなる)は、『池をうづみて平地となり ここに能勢俣の邸を建てられ門内の傍に妙見堂を勧請あり これはすなわち摂州能勢郡野間村妙見山の本尊同体の霊像にましませば応験わけて新たなりとて 貴賎すべて詣でて晴雨ともに間断なし ことさら午の日は御縁日なりとて詣人郡をなし 夜店の商人など多く出でていとにぎはし』と当時の様子を、述べている。

文化・芸術◎森琴石「大阪名所独案内」◎浪華百景 第15図「北妙見堤」◎近松門左衛門「後太平記四十八巻目津国女夫池」(亨保6年)浄瑠璃◎「芦分船」巻6(延宝三年刊)◎摂陽郡談(夫婦池)◎浪華百時談」◎大阪北の七福神巡り(福禄寿)


 

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